2008/07/21 (Mon) 06:04
宮脇俊三展と種村直樹

 日本全国の梅雨明けが宣言され、青春18きっぷが使用開始になる、3連休の始まりにして学生は夏休み初日の19日、世田谷文学館で開催されている「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」に行ってきた。
 最寄り駅は京王線の芦花公園駅。9時前後家を出て、10時ちょっと過ぎには目的地。玄関には鯉が泳ぐ池があって涼しげ。
 展示の目玉は『時刻表2万キロ』の赤線で乗車区間を塗りつぶした白地図や、最長片道切符の実物、旅行中につけていたメモ帳などなど。『世界の歴史』シリーズや中公新書の立ち上げなど中央公論社編集者時代の業績や、隣人、北杜夫との交友関係などの展示もあって、盛りだくさんで満足。
 中公新書はずいぶん読んだし、『世界の歴史』シリーズは受験生時代に読んだ。鉄道趣味以外でも氏の多大な影響下にあったことを改めて思い知る。
 会場では80年代の国鉄を記録したDVDが上映されていたのだが、時代を感じてしまったのは、ローカル線から降りてくる女子高生がみんな「聖子ちゃんカット」なことだ(笑)。むろん黒髪だし携帯電話も持ってはいない。
 この日は午後から、酒井順子氏と原武史氏の対談企画があったのだが、予約で満席とか。
 一階の常設展も見る。世田谷ゆかりの作家が紹介されていて、面白かったのは森茉莉の展示。新聞のTV欄に印と矢印が書き込まれているのだが、アニメの『ふしぎな島のフローネ』とかにもついているのだ。視聴されていたのだろうか?
 昼には会場を後にする。
 
 このサイトを見ると、この日どうやらわたしは、種村直樹氏とニアミスしたようだ。
 種村直樹氏は、鉄道マニアの世界で宮脇氏と並ぶ「大御所」。毎日新聞記者から「レイルウェイ・ライター」として独立したのは1973年。宮脇氏に先んじて鉄道関係専業の物書きになった。
 そして、国鉄全線完乗した70年代後半から日本の鉄道全線完乗を達成する80年代半ばが、氏の絶頂期。この頃はちょうど宮脇氏のデビューにも重なっていて、宮脇、種村の重連が「鉄道趣味」の世界を強力に牽引していた。
 宮脇氏は『最長片道切符の旅』で種村氏のところへルートの相談に行っている。文芸関係がフィールドで、旅のスタイルは一人旅か編集者と同行するぐらいの宮脇氏。対する種村氏はジャーナリズム指向で、旅行スタイルは「友の会」会員とわいわい乗り継ぎ旅行、と「棲み分け」も出来ていた。
 わたし自身、宮脇氏より種村氏の著作を好んでいた。宮脇氏も「愛読者」ではあったが、はまるほどではない。著作でも歴史物とかは未読である。それはおそらく鉄道旅行記に「旅情」よりも「情報」を求めていたためだと思う。旅行に出るときは『時刻表2万キロ』よりも『鉄道旅行術』を鞄に入れていた。当時の種村氏の本には「情報」だけはたくさん詰まっていたので。もっとも車中の暇つぶしで読んでいた本はたいがい、ハヤカワや創元のSF小説なのだが。

 しかし宮脇氏が死後「神格化」されつつあるのに、未だ現役である種村氏はずっと、ぱっとしない状況が続いている。
 90年代以降も、「乗り継ぎ旅行」の著作は出していたのだが、70年代と同じパターンの繰り返し。孫ぐらいの年齢になっている友の会の「ヤング」と一緒に夜行に乗ってはしゃいでるのはどうよ、とも思えてきた。著作でもかなりの分量を割いている「日本列島外周の旅」「旅行貯金」にも興味を惹かれなかった。氏が熱中しているのは分かるが、読み手が置いてきぼりになっていた。

 手元に『きしゃ汽車記者の30年 レイルウェイ・ライター種村直樹の軌跡』という冊子がある。氏の著作物を刊行している出版社「SiGnal」から「レイルウェイ・ライター開業30周年」を記念して出版されたもので、書泉グランデで入手した。「冊子」とはいえ144ページはあるのでかなりのボリュームである。
 この本「奇書」と呼んでもいい。基本的に「内輪」に向けた本なのだが、それを差し引いても、読んでいてしばしば「すげーなー」とため息をついてしまう。
「鉄道ジャーナル」担当編集者の寄稿では追記で「最近原稿が遅くて困っています」ということを書かれている。
 各社担当編集者の座談会、字が読めないとか、旅行中ふらりといなくなるとか、挙げ句の果てにはいびきがうるさいとか(笑)いう話題で盛り上がっている。「愛すべき先生」というトーンなのは伺えるのだが……。
 ところどころ、人名の後に(M26)とか(A77)とかいう番号が入っている。これについての説明が書いていないので部外者には何のことだかわからない。「友の会」の会員番号だろうか。
 巻末には年表。これも最近になるにつれてトリビアリズムが爆発。駐車場を手放すのが惜しくて安い中古車を買って「オキちゃん(置き車の意)」と名付けたとか、初めてドライブに行って、大雪になるからワイパーを立てておくようにとか、ケータイを落として届けてもらったとか。ここまで徹底すると、ある種の味があると言えなくもない……少なくとも、種村読者歴20年のわたしには結構楽しめてしまったのだが(笑)、どう考えても鉄道とか著作関係とは関係ない記述は削るべきだよなあ。

 とはいえ、氏の功績はきわめて大きいのは事実。さかのぼってネガティブなことを書いているようなサイトもあるようだが、読んでいてあまりいい気持ちはしない。
 やはり「生涯現役」というのは難しいものだなあ、と。宮脇氏も晩年、満足行かない文章が書けずに酒におぼれていたと、娘の著作にありますし。

参考サイト:
種村直樹は鉄道趣味界の使徒
種村直樹が歴史的使命を終える瞬間を見てしまった

追記:
種村氏は合作で推理小説を何冊か出しているが、京大生時代「SRの会」に所属して習作を同人誌に発表している。SFで言えば「宇宙塵」に入っていたようなもので、その分野でもかなりのマニアだったことが伺われる。

2008/07/20 (Sun) 23:45
『となりのトトロ』と宮崎駿

となりのトトロとなりのトトロ
(2001/09/28)
日高のり子坂本千夏

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 金曜ロードショーで『となりのトトロ』を観る。じつは、まともに観るのは初めてのTV放送以来2回目だったりする。80年代後半の本作が制作された前後から、90年代の半ばぐらいまで、宮崎駿的なものは「敵」だと思っていたから。
 この前後から宮崎(ジブリ)アニメは、アパルトヘイトの「名誉白人」ならぬ「名誉映画」のような扱いをされていた。アニメ一般は映画や実写ドラマよりも下に見られて、変な事件が起こるたびにバッシングされていたのに、そこだけ「聖域」。おまけに「セーラー服の女の子が機関銃撃って走り回るようなアニメ作ってちゃダメなんです」と仰有っているその有様は、まさに白人に媚を売る黒人、アンクルトム的な振る舞いじゃないか。
だからトトロだって、PTAとか朝日新聞とかに媚びるような代物作りやがって、けっ! てめえだけいい子ちゃんになりやがって、きしょーめ! みたいな感じで反撥が先に立っていた。
 それからもう20年経つのか。いろいろな意味で宮崎とかジブリとかを客観視できるようになって、もう観てもいいんじゃないかな、と思えたのだ。

 で、見た感想は……サツキやメイよりお父さんがうらやましいと思えてしまう(笑)。
 ただ、舞台の「昭和30年代」が魅力的なんじゃなくてこの作品を作った宮崎駿の手腕が優秀なんでしょ。これは押さえておきたい。 大体昭和30年代なんて、今とは比べものにならないくらい治安も悪いし貧富の差も激しい。酒を飲んでいい気分になるのはかまわんけど、それでクルマを運転しちゃダメでしょ、っつーことです。

 翌日フジテレビ土曜プレミアムで『時をかける少女』が二度目の放送。しかし観ていて「トトロの方が上だな」と思ってしまった。
 いや、たしかに本作も傑作なんだけどね、アニメとしてみれば「甘い」部分も少なからずあります。その点トトロはまったく隙がないというか、単なる日常生活のみを描いても観客を惹きつける。だから細田守から『ハウル』を取ってしまったのだろうか。
時をかける少女 限定版時をかける少女 限定版
(2007/04/20)
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 それにしてもなあ、番組冒頭の『崖の上のポニョ』特集に出てきて「すごいですねー」とかのほほんとコメントしてる、吾郎ちゃんはどうにかしろよ。『ポニョ』で一茂を起用したのは、そのあてつけか?

テーマ : 日記 - ジャンル : アニメ・コミック

2008/07/18 (Fri) 02:33
松本隆とマクロスの80年代

星間飛行星間飛行
(2008/06/25)
ランカ・リー=中島愛

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 季節の松本 第11回「アニメソング(前編)」

 松本隆が自分のサイトで「星間飛行」と『マクロス』について語っている。コレがすごい面白い。マクロスシリーズについてずいぶんと詳しいのには驚かされるが、24年組の少女マンガのファンだと語っていたことがあるし、『エヴァンゲリオン』も観ていたらしい。
 当時の松本氏と『マクロス』のコラボレーションが実現していたら、どうなったんだろう? まあ、「愛・おぼえていますか」は十分すぎるほど名曲なので、これはこれでいいのだが。
(余談だが、ともに氏が作詞した安田成美「風の谷のナウシカ」の2番と松田聖子「瑠璃色の地球」の2番は似ている)
愛・おぼえていますか愛・おぼえていますか
(1993/09/22)
飯島真理

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 前回のエントリと絡めるが、こういったものこそ、アニメ雑誌が載せるべき記事じゃないか。松本氏と河森監督の対談とかセッティングしてもいいかも。

 昨今の80年代ブーム(?)は「10年ぐらい前の過去は否定の対象だけど、20年ぐらい過ぎると懐かしくなってくる」ということではないでしょうか。以前から思っているのだが、「近未来もの」と同じ法則が成り立つのかも。近未来を舞台にしたSFでは、現代社会のネガティブな部分が悪化したものとして描かれるケースが多い。同じように10年〜20年ぐらい前の「近過去」は現在のネガティブな部分が生じたものとして振り返られるのかも知れない。

テーマ : マクロスF(フロンティア) - ジャンル : アニメ・コミック

2008/07/16 (Wed) 08:57
アニメ雑誌の30年

7/12に開催されたSFファン交流会7月例会「TVマンガがTVアニメになったとき 〜アニメ専門雑誌の30年」に行ってきました。会場は渋谷区の千駄ヶ谷区民会館。副都心線で明治神宮前まで。副都心線に乗るのは開業直後以来久々だったりする。
畳部屋の会場には各アニメ誌の創刊号がずらり。名前しか聞いたことのないものから、90年代のエヴァバブルで創刊されたものまで。
今回は徳木吉春さん(編集者)、藤田尚さん(マンガ関係者)、原口正宏さん(アニメーション研究家)の三氏をお呼びして、78年の「アニメージュ」創刊前後から85年の「ニュータイプ」創刊までの話を伺う……とはいえ、昔の話の方がおもしろいのは否めない。 興味深い話がいろいろ伺えたのだが、結局、自分では今のアニメ雑誌にはさほど期待していないことを再確認してしまった。
お話によれば、昔は誌面に載る絵をセルやフィルムから写していたのが、製作のデジタル化で宣材として指定されているものを使うようになって、雑誌ごとの特色が出しづらくなってしまったそうだ。わたしとしては、「アニメ雑誌に載るアニメ」が固定化されてしまったこともあげられると思う。その点『マイメロディ』を創刊から3号連続して載せた「オトナアニメ」は画期的だと思った。今なら『ミンキーモモ』とかも取り上げられず終いかも知れんなあ。
今度「アニメージュ」からも上の年齢層をねらった新雑誌「アニメージュオリジナル」が発売されるそうなので、それは期待していいのか。

テーマ : 日記とアニメ・マンガ関連ごちゃまぜ - ジャンル : アニメ・コミック

2008/07/11 (Fri) 20:58
『図書館戦争』感想と言葉狩りと総括と

 以前どこかの本で読んだのだが、こんな言葉があるらしい。「検閲制度の一番よくない点は、検閲を通らなかった本が自動的に優れたものとされてしまうことだ」


 で、『図書館戦争』に関して考えたことの自分なりの総括であります。以前書いたことの繰り返しになるかも知れませんが、それは「まとめ」ということでご容赦ください。

 最近読んだある雑誌の話から。別件の調べ物をしていて、偶然読んだのだが、今回の件について考えるのにちょうどよいと思えたので。
 ホロコースト捏造説を載せたせいで廃刊になってしまった「マルコポーロ」という雑誌がある。その1994年12月号の特集は「『言葉狩り』徹底追究。」当時世を賑わせていた筒井康隆氏の「断筆宣言」と、それを受けて盛り上がった「言葉狩り」についての特集である。
 まず筒井氏のインタビューが載っていて、タイトルは「これからの敵は、君たちマスコミだ」。
 次の記事では、「具が大きい」「手作り」「富山の薬売り」などとCMで些末な部分をあげつらわれた例がいくつも取り上げられている。まったく下らないものばかりだ、と笑い飛ばすのは簡単だが、ちょっと待って欲しい。すべての「糾弾」がそうだとは言い切れませんよね。これは「差別」と判断するのが妥当だと思った事例も併せて考慮しないと、単なる事態の矮小化、戯画化にならないだろうか。
 この問題に20年間取り組んでいたというライターの記事が載っていて、いろいろと提言をしている。「『差別表現』対『表現の自由』という”二項対立”の考え方をやめる」「密室的処理をやめ、論議を公開する」「『不適切な表現がありました』式の曖昧な『おわび』はやめる」などと、耳を傾けるべきものも多いのだが、その記事の見出しをみると「指が四本で差別コミック。」キャッチーな見出しを付けたがるのは理解出来るが。見出しの件は『覚悟のススメ』で「指四本」のコマを自主規制で描き変えられてしまったという話。事前に解放同盟に「この表現でよいか」と相談し、問題なしとしたにも関わらず、である。この件で結局解放同盟はいい面の皮である。
 この問題はそもそも、糾弾、非難に対してろくな論議も主張もせずに「自主規制」しまうメディアの姿勢を問うていたはずなのに、いつの間にやら糾弾する側が「煩いやつらなんだから相手にしない」「偏った信念や『利権』を擁護するためにケチを付けている集団」という「色眼鏡」でみられるようになってしまった。
 そして、批判されるべき悪感情を「差別用語」混じりにあけすけにぶちまけるのが「正義」という解釈をする手合いも少なからず、現れるようになった。
 これは大変、不幸なことだ。
 作者のファンサイトでは、トップページで人権擁護法案についてのまとめサイトが紹介されている。
 そのまとめサイト、リンク集で取り上げられているサイトには、特定勢力に対する敵対心や陰謀論めいた言辞を弄するところが少なからず混ざっている。わたし自身正直な話として、「人権擁護法案に反対することは、そういったものに賛同していると同一視されてしまうのか……」という思いもある(リンクをたどれるところにあるから当該言説に賛同していると受け取っていい、というのは意地悪に過ぎるだろうか?)。
 もちろん、対立する思想の持ち主が当座の目的のために「共闘」することはあっていい。
 暴対法が国会で審議されていたとき、「極道の妻たち」と左翼系の市民団体が一緒に反対デモを行っていた。その光景に「いくら主張が同じでも、一緒にデモというのはやりすぎ」と書いたコラムニストがいた。わたしもそう思う。
 まあ、それはともかく。

 振り返ってみれば、このシリーズで表だって書かれている事件はどれも「政治的」なものではない。『図書館革命』の原発テロがそうかもしれない、とは思うが、小説(エンターテインメント)中の描写が事件を連想させる、という「非政治的」なものだ。
 主人公の笠原郁が図書隊を志望するきっかけになった事件も、好きだった絵本が作中に「こじき」という言葉を使ったという件で「良化」の対象になった、ということだった。
『図書館戦争』シリーズに登場した「メディア良化委員会」もその意を呈したPTAや「子供の健全な成長を考える会」、その動きを黙認している警察にしろ、「政治的」なものは感じられない。
(作者は良化委員会と図書館の関係は「中央対地方」の意味も込めていると語っているが、警察というのは上層の「キャリア組」こそ国家公務員だがあくまで地方分権の組織で、対して図書隊に肩入れしている自衛隊は国家の組織。この「ねじれ」はちょっと面白い)
 作者にしてみれば、「あえて書かなかった」というだろうが。

 繰り返しになるが「快楽原則」を擁護することは正当だ、と考えるし、それを入れて「言論の自由」だ、という意見にも賛同する。
『図書館戦争』シリーズは「願望充足」と「快楽原則」が支配するエンターテインメントである。そうだからといって、作品を貶める理由にはならない。しかし、それ以上のものを読み取るのはちょっと違う。
 たとえば『北斗の拳』とか『必殺仕事人』みたいに、悪人は容赦なくやっちまえ、みたいな「お話」がありますよね。読んでて痛快だし野暮な突っ込みをつける気も毛頭ないですが、現実の事例とごっちゃにしちゃいけないし、ましてやそれを警察や裁判所が評価するのはおかしいじゃないですか。『図書館戦争』の場合、その距離ははるかに近いとはいえ、同種の違和感があるんです。
 図書館協会のひとは、そういったことを理解すべきだったし、その上で「エンターテインメント」として評価してほしかった。
 アニメ最終話については、論外だろう。「護りたいもの」が「オレたちの楽しみ」でしかないことを、はしなくも露呈させてしまった、というべきか。

 正直言えば、「こんな出会い方はしたくなかったなあ」と思います。わたしとてエンターテインメント小説のすべてにこんなケチを付けているわけではない。
 一気にハードカバーのシリーズを読み進めていろいろ考えていくというのは、最近ではなかなかない読書体験だった。原作者の有川浩さんには感謝すると同時に、勝手に俎上に挙げてしまって大変申し訳ないと思っております。いや、大変失礼しました。

 それでは、この辺で。

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