以前どこかの本で読んだのだが、こんな言葉があるらしい。「検閲制度の一番よくない点は、検閲を通らなかった本が自動的に優れたものとされてしまうことだ」
で、『図書館戦争』に関して考えたことの自分なりの総括であります。以前書いたことの繰り返しになるかも知れませんが、それは「まとめ」ということでご容赦ください。
最近読んだある雑誌の話から。別件の調べ物をしていて、偶然読んだのだが、今回の件について考えるのにちょうどよいと思えたので。
ホロコースト捏造説を載せたせいで廃刊になってしまった「マルコポーロ」という雑誌がある。その1994年12月号の特集は「『言葉狩り』徹底追究。」当時世を賑わせていた筒井康隆氏の「断筆宣言」と、それを受けて盛り上がった「言葉狩り」についての特集である。
まず筒井氏のインタビューが載っていて、タイトルは「これからの敵は、君たちマスコミだ」。
次の記事では、「具が大きい」「手作り」「富山の薬売り」などとCMで些末な部分をあげつらわれた例がいくつも取り上げられている。まったく下らないものばかりだ、と笑い飛ばすのは簡単だが、ちょっと待って欲しい。すべての「糾弾」がそうだとは言い切れませんよね。これは「差別」と判断するのが妥当だと思った事例も併せて考慮しないと、単なる事態の矮小化、戯画化にならないだろうか。
この問題に20年間取り組んでいたというライターの記事が載っていて、いろいろと提言をしている。「『差別表現』対『表現の自由』という”二項対立”の考え方をやめる」「密室的処理をやめ、論議を公開する」「『不適切な表現がありました』式の曖昧な『おわび』はやめる」などと、耳を傾けるべきものも多いのだが、その記事の見出しをみると「指が四本で差別コミック。」キャッチーな見出しを付けたがるのは理解出来るが。見出しの件は『覚悟のススメ』で「指四本」のコマを自主規制で描き変えられてしまったという話。事前に解放同盟に「この表現でよいか」と相談し、問題なしとしたにも関わらず、である。この件で結局解放同盟はいい面の皮である。
この問題はそもそも、糾弾、非難に対してろくな論議も主張もせずに「自主規制」しまうメディアの姿勢を問うていたはずなのに、いつの間にやら糾弾する側が「煩いやつらなんだから相手にしない」「偏った信念や『利権』を擁護するためにケチを付けている集団」という「色眼鏡」でみられるようになってしまった。
そして、批判されるべき悪感情を「差別用語」混じりにあけすけにぶちまけるのが「正義」という解釈をする手合いも少なからず、現れるようになった。
これは大変、不幸なことだ。
作者のファンサイトでは、トップページで人権擁護法案についてのまとめサイトが紹介されている。
そのまとめサイト、リンク集で取り上げられているサイトには、特定勢力に対する敵対心や陰謀論めいた言辞を弄するところが少なからず混ざっている。わたし自身正直な話として、「人権擁護法案に反対することは、そういったものに賛同していると同一視されてしまうのか……」という思いもある(リンクをたどれるところにあるから当該言説に賛同していると受け取っていい、というのは意地悪に過ぎるだろうか?)。
もちろん、対立する思想の持ち主が当座の目的のために「共闘」することはあっていい。
暴対法が国会で審議されていたとき、「極道の妻たち」と左翼系の市民団体が一緒に反対デモを行っていた。その光景に「いくら主張が同じでも、一緒にデモというのはやりすぎ」と書いたコラムニストがいた。わたしもそう思う。
まあ、それはともかく。
振り返ってみれば、このシリーズで表だって書かれている事件はどれも「政治的」なものではない。『図書館革命』の原発テロがそうかもしれない、とは思うが、小説(エンターテインメント)中の描写が事件を連想させる、という「非政治的」なものだ。
主人公の笠原郁が図書隊を志望するきっかけになった事件も、好きだった絵本が作中に「こじき」という言葉を使ったという件で「良化」の対象になった、ということだった。
『図書館戦争』シリーズに登場した「メディア良化委員会」もその意を呈したPTAや「子供の健全な成長を考える会」、その動きを黙認している警察にしろ、「政治的」なものは感じられない。
(作者は良化委員会と図書館の関係は「中央対地方」の意味も込めていると語っているが、警察というのは上層の「キャリア組」こそ国家公務員だがあくまで地方分権の組織で、対して図書隊に肩入れしている自衛隊は国家の組織。この「ねじれ」はちょっと面白い)
作者にしてみれば、「あえて書かなかった」というだろうが。
繰り返しになるが「快楽原則」を擁護することは正当だ、と考えるし、それを入れて「言論の自由」だ、という意見にも賛同する。
『図書館戦争』シリーズは「願望充足」と「快楽原則」が支配するエンターテインメントである。そうだからといって、作品を貶める理由にはならない。しかし、それ以上のものを読み取るのはちょっと違う。
たとえば『北斗の拳』とか『必殺仕事人』みたいに、悪人は容赦なくやっちまえ、みたいな「お話」がありますよね。読んでて痛快だし野暮な突っ込みをつける気も毛頭ないですが、現実の事例とごっちゃにしちゃいけないし、ましてやそれを警察や裁判所が評価するのはおかしいじゃないですか。『図書館戦争』の場合、その距離ははるかに近いとはいえ、同種の違和感があるんです。
図書館協会のひとは、そういったことを理解すべきだったし、その上で「エンターテインメント」として評価してほしかった。
アニメ最終話については、論外だろう。「護りたいもの」が「オレたちの楽しみ」でしかないことを、はしなくも露呈させてしまった、というべきか。
正直言えば、「こんな出会い方はしたくなかったなあ」と思います。わたしとてエンターテインメント小説のすべてにこんなケチを付けているわけではない。
一気にハードカバーのシリーズを読み進めていろいろ考えていくというのは、最近ではなかなかない読書体験だった。原作者の有川浩さんには感謝すると同時に、勝手に俎上に挙げてしまって大変申し訳ないと思っております。いや、大変失礼しました。
それでは、この辺で。
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