『図書館戦争』アニメの放送が終了した。本作の放映が始まった頃、最近改装された千代田図書館で「蔵書に見る検閲」というような展示をしていた。戦前の蔵書には内務省が検閲した印が残っているそうだ。
原作は未読だったので、アニメもそんな問題を取り上げつつエンターテイメントしてくれるのか、と始まる前は結構期待していたが、ところがどっこい、近来まれに見る「酷い」アニメであった(見ていない回もあるのだが)。
暴力的にメディア統制を図る「メディア良化隊」に対抗するために図書館が武装して戦争状態にあるという設定そのものには突っ込みを入れない。荒唐無稽に見える設定に説得力を持たせるのは小説やアニメの見せ所。問題なのはその描かれ方。とにかく、卑劣な手を使ってくるのは全部「敵」の側。やられて悲劇的な死を遂げるのは味方(ラスト1ではそうとしか思えない描写だったが、最終話ではなんと、全身に貫通銃創を受けながら死んでいなかったことが判明。主人公側に苦難を与えられない姿勢には失笑するのみ)。致死性の兵器を使って敵を殺しておいて、それを糾弾されるのは「悪」らしい。もう一つおまけに言えば、非武装を唱える勢力は敵と内通する卑劣漢。何だろう、これは。
とまあ、見るたびに呆れていたのだが、最終回はその集大成のようだった。いろいろ言いたいが、2点だけ挙げよう。
武力衝突で相手側に死者が出たことで報道陣に迫られた主人公が「無法でたくさん」と口走るのだが、法律で保障された武力を持った勢力の一員がそう表明することって、とっても恐ろしいことだと思うんですが。警官が挙動不審な人物を即時射殺してもオッケー、ということ? だが、この世界の市民にはその暴言に対する支持があるらしい。
それと、エンディングのナレーションで「司法省に頼んで偏向報道をやめさせた」とかさらりと言ってのけるところがある。それは作中人物が命を賭けて護っているはずの「思想の自由」を蹂躙する行為じゃないか。それとも「主人公側の目的に叶う検閲はよい検閲」とでもいうのか。「社会主義国の核兵器はきれいな核兵器」という言葉があったな。まさか『スターシップ・トゥルーパーズ』的な「皮肉」なのか?
こういう作品が作られてしまうのって結局、「表現、思想の自由」と「快楽原則」がごっちゃにされているからじゃないのか。
メディア規制に反対している側のモチベーションってのは「表現の自由」を表向き掲げながらもその実「快楽原則」の擁護である場合が多い。「オレたちの楽しみを邪魔するな」という……。それはそれで正当なことで、「戦争を美化しているから悪い作品」みたいな近視眼的な糾弾は愚かだし、未だにその域を脱していない手合いが少なからずいるのは認めますが、それを退けていった結果出来したのが、単なる快楽原則の自堕落な肯定で、他者に対する不寛容とか差別主義とか敵対的言辞を露悪的に垂れ流すのが「タブーなき自由な言論」という発想を蔓延させる元になってしまったのは、これはこれで無惨な光景ではあります。『フルメタルジャケット』が、戦争と軍隊が人間性を破壊して殺人兵器にしてしまう狂気を描いた作品であったはずなのに、ハートマン軍曹の悪罵だけを取り出してそれを「萌えキャラ」に言わせて面白がっているような作品にも同種の不快感を覚える。
子供の駄々レベルのいちゃもん付けに「自主規制」として先回りして屈するメディアの態度がこんな事態を招いたのだ、と言いたい気持ちもないではないけれど。
それにしても、エンディングに「協力」というキャプションが入っている日本図書館協会はどう思ってるんだ。「図書館で他人の借りた本を調べる」みたいな映画やドラマの描写には文句をつけるのに……と思っていたら、
原作を批判した図書館関係者がアニメでは「主人公側を陥れる策略を巡らす悪党」として「出演」している。どうやら原作通りの描写らしい。やれやれ……。
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