2008/07/24 (Thu) 19:56
アニメの悪影響

 父親を殺した女子中学生が『ひぐらしのなく頃に』を愛読していたとかで、警察が「犯行に影響を与えたのでは」と関連を調べているようだ。『ひぐらし』は昨年も似たような事件が発生したとき、一部の回が放送中止になったりした。
 この種の事件が起こるたび、アニメやマンガ、ゲームとの関連が取りざたされるのは毎度おなじみの光景であるが、手口をそのまま模倣したというならともかく、特定の事件との因果関係などは証明できるはずもない。

 しかし、社会に甚大な害を与えた事象に、明らかな影響を与えたアニメというのは、じつは、あるのだ。アニメファンとしては大変残念なことだが、事実である。

 その作品とは『あらいぐまラスカル』である。
 1977年から1年間「世界名作劇場」枠で放映された、あの名作アニメだ。スターリング少年とアライグマ、ラスカルとの心温まる交流と、作中で描かれたラスカルの愛らしい仕草は視聴者を魅了した。
 放映開始後はアライグマの輸入が急増した。アニメのイメージに影響されて、ペットとしての人気が高くなったのだ。

 しかし現実のアライグマは、頭がよく人になつきにくい動物である。檻が破られて逃げてしまったり、アニメのラストを真似て、手に負えなくなったアライグマを逃がした例なども多いらしい。
 野に放たれたアライグマは、天敵のいない日本各地で繁殖し、害獣となった。畑を荒らす、民家に侵入して排泄物で汚す、寄生虫や伝染病を媒介する、さらには在来種を圧迫するなどの被害を与える。その額は全国でなんと1億6千万円にも達するという。
(参考記事:アライグマ被害1億6千万円 16都道府県で農作物荒らす)
 被害の大きい北海道や神奈川県などでは駆除に乗り出しているが、「かわいいラスカルを殺すなんて許せない」とかいって、反対する動きもある。むろんこれはアニメが植え付けたイメージでしかない。
 さらに最近では「ご当地ラスカル」というのもあるようだ、たとえば「HOKKAIDO RASCAL」。サイトを読むと勘違いしているのか意図的なブラックジョークなのか、判断に苦しむ。 「琵琶湖ブラックバスくん」とかも出せばいいのに。

 まさに史上空前の悪影響である。『ひぐらしのなく頃に』よりも先に、環境省と農林水産省は『あらいぐまラスカル』を有害指定すべきではなかろうか。
(ちなみに現在アライグマは特定外来生物に指定され、無許可での販売、飼育は禁止されている)

(参考URL:[今日の本]はるかなるわがラスカル[今日のアニメ]あらいぐまラスカル これがすべての元凶[今日の事件]「あらいぐまラスカル」が引き起こした日本のアライグマ問題[今日の事件]「あらいぐまラスカル」と動物商法


あらいぐまラスカル(1)あらいぐまラスカル(1)
(1999/03/25)
野沢雅子内海俊彦

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ぜったいに飼ってはいけないアライグマぜったいに飼ってはいけないアライグマ
(1999/10)
さとう まきこ杉田 比呂美

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2008/07/21 (Mon) 06:04
宮脇俊三展と種村直樹

 日本全国の梅雨明けが宣言され、青春18きっぷが使用開始になる、3連休の始まりにして学生は夏休み初日の19日、世田谷文学館で開催されている「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」に行ってきた。
 最寄り駅は京王線の芦花公園駅。9時前後家を出て、10時ちょっと過ぎには目的地。玄関には鯉が泳ぐ池があって涼しげ。
 展示の目玉は『時刻表2万キロ』の赤線で乗車区間を塗りつぶした白地図や、最長片道切符の実物、旅行中につけていたメモ帳などなど。『世界の歴史』シリーズや中公新書の立ち上げなど中央公論社編集者時代の業績や、隣人、北杜夫との交友関係などの展示もあって、盛りだくさんで満足。
 中公新書はずいぶん読んだし、『世界の歴史』シリーズは受験生時代に読んだ。鉄道趣味以外でも氏の多大な影響下にあったことを改めて思い知る。
 会場では80年代の国鉄を記録したDVDが上映されていたのだが、時代を感じてしまったのは、ローカル線から降りてくる女子高生がみんな「聖子ちゃんカット」なことだ(笑)。むろん黒髪だし携帯電話も持ってはいない。
 この日は午後から、酒井順子氏と原武史氏の対談企画があったのだが、予約で満席とか。
 一階の常設展も見る。世田谷ゆかりの作家が紹介されていて、面白かったのは森茉莉の展示。新聞のTV欄に印と矢印が書き込まれているのだが、アニメの『ふしぎな島のフローネ』とかにもついているのだ。視聴されていたのだろうか?
 昼には会場を後にする。
 
 このサイトを見ると、この日どうやらわたしは、種村直樹氏とニアミスしたようだ。
 種村直樹氏は、鉄道マニアの世界で宮脇氏と並ぶ「大御所」。毎日新聞記者から「レイルウェイ・ライター」として独立したのは1973年。宮脇氏に先んじて鉄道関係専業の物書きになった。
 そして、国鉄全線完乗した70年代後半から日本の鉄道全線完乗を達成する80年代半ばが、氏の絶頂期。この頃はちょうど宮脇氏のデビューにも重なっていて、宮脇、種村の重連が「鉄道趣味」の世界を強力に牽引していた。
 宮脇氏は『最長片道切符の旅』で種村氏のところへルートの相談に行っている。文芸関係がフィールドで、旅のスタイルは一人旅か編集者と同行するぐらいの宮脇氏。対する種村氏はジャーナリズム指向で、旅行スタイルは「友の会」会員とわいわい乗り継ぎ旅行、と「棲み分け」も出来ていた。
 わたし自身、宮脇氏より種村氏の著作を好んでいた。宮脇氏も「愛読者」ではあったが、はまるほどではない。著作でも歴史物とかは未読である。それはおそらく鉄道旅行記に「旅情」よりも「情報」を求めていたためだと思う。旅行に出るときは『時刻表2万キロ』よりも『鉄道旅行術』を鞄に入れていた。当時の種村氏の本には「情報」だけはたくさん詰まっていたので。もっとも車中の暇つぶしで読んでいた本はたいがい、ハヤカワや創元のSF小説なのだが。

 しかし宮脇氏が死後「神格化」されつつあるのに、未だ現役である種村氏はずっと、ぱっとしない状況が続いている。
 90年代以降も、「乗り継ぎ旅行」の著作は出していたのだが、70年代と同じパターンの繰り返し。孫ぐらいの年齢になっている友の会の「ヤング」と一緒に夜行に乗ってはしゃいでるのはどうよ、とも思えてきた。著作でもかなりの分量を割いている「日本列島外周の旅」「旅行貯金」にも興味を惹かれなかった。氏が熱中しているのは分かるが、読み手が置いてきぼりになっていた。

 手元に『きしゃ汽車記者の30年 レイルウェイ・ライター種村直樹の軌跡』という冊子がある。氏の著作物を刊行している出版社「SiGnal」から「レイルウェイ・ライター開業30周年」を記念して出版されたもので、書泉グランデで入手した。「冊子」とはいえ144ページはあるのでかなりのボリュームである。
 この本「奇書」と呼んでもいい。基本的に「内輪」に向けた本なのだが、それを差し引いても、読んでいてしばしば「すげーなー」とため息をついてしまう。
「鉄道ジャーナル」担当編集者の寄稿では追記で「最近原稿が遅くて困っています」ということを書かれている。
 各社担当編集者の座談会、字が読めないとか、旅行中ふらりといなくなるとか、挙げ句の果てにはいびきがうるさいとか(笑)いう話題で盛り上がっている。「愛すべき先生」というトーンなのは伺えるのだが……。
 ところどころ、人名の後に(M26)とか(A77)とかいう番号が入っている。これについての説明が書いていないので部外者には何のことだかわからない。「友の会」の会員番号だろうか。
 巻末には年表。これも最近になるにつれてトリビアリズムが爆発。駐車場を手放すのが惜しくて安い中古車を買って「オキちゃん(置き車の意)」と名付けたとか、初めてドライブに行って、大雪になるからワイパーを立てておくようにとか、ケータイを落として届けてもらったとか。ここまで徹底すると、ある種の味があると言えなくもない……少なくとも、種村読者歴20年のわたしには結構楽しめてしまったのだが(笑)、どう考えても鉄道とか著作関係とは関係ない記述は削るべきだよなあ。

 とはいえ、氏の功績はきわめて大きいのは事実。さかのぼってネガティブなことを書いているようなサイトもあるようだが、読んでいてあまりいい気持ちはしない。
 やはり「生涯現役」というのは難しいものだなあ、と。宮脇氏も晩年、満足行かない文章が書けずに酒におぼれていたと、娘の著作にありますし。

参考サイト:
種村直樹は鉄道趣味界の使徒
種村直樹が歴史的使命を終える瞬間を見てしまった

追記:
種村氏は合作で推理小説を何冊か出しているが、京大生時代「SRの会」に所属して習作を同人誌に発表している。SFで言えば「宇宙塵」に入っていたようなもので、その分野でもかなりのマニアだったことが伺われる。

2008/07/20 (Sun) 23:45
『となりのトトロ』と宮崎駿

となりのトトロとなりのトトロ
(2001/09/28)
日高のり子坂本千夏

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 金曜ロードショーで『となりのトトロ』を観る。じつは、まともに観るのは初めてのTV放送以来2回目だったりする。80年代後半の本作が制作された前後から、90年代の半ばぐらいまで、宮崎駿的なものは「敵」だと思っていたから。
 この前後から宮崎(ジブリ)アニメは、アパルトヘイトの「名誉白人」ならぬ「名誉映画」のような扱いをされていた。アニメ一般は映画や実写ドラマよりも下に見られて、変な事件が起こるたびにバッシングされていたのに、そこだけ「聖域」。おまけに「セーラー服の女の子が機関銃撃って走り回るようなアニメ作ってちゃダメなんです」と仰有っているその有様は、まさに白人に媚を売る黒人、アンクルトム的な振る舞いじゃないか。
だからトトロだって、PTAとか朝日新聞とかに媚びるような代物作りやがって、けっ! てめえだけいい子ちゃんになりやがって、きしょーめ! みたいな感じで反撥が先に立っていた。
 それからもう20年経つのか。いろいろな意味で宮崎とかジブリとかを客観視できるようになって、もう観てもいいんじゃないかな、と思えたのだ。

 で、見た感想は……サツキやメイよりお父さんがうらやましいと思えてしまう(笑)。
 ただ、舞台の「昭和30年代」が魅力的なんじゃなくてこの作品を作った宮崎駿の手腕が優秀なんでしょ。これは押さえておきたい。 大体昭和30年代なんて、今とは比べものにならないくらい治安も悪いし貧富の差も激しい。酒を飲んでいい気分になるのはかまわんけど、それでクルマを運転しちゃダメでしょ、っつーことです。

 翌日フジテレビ土曜プレミアムで『時をかける少女』が二度目の放送。しかし観ていて「トトロの方が上だな」と思ってしまった。
 いや、たしかに本作も傑作なんだけどね、アニメとしてみれば「甘い」部分も少なからずあります。その点トトロはまったく隙がないというか、単なる日常生活のみを描いても観客を惹きつける。だから細田守から『ハウル』を取ってしまったのだろうか。
時をかける少女 限定版時をかける少女 限定版
(2007/04/20)
仲里依紗石田卓也

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 それにしてもなあ、番組冒頭の『崖の上のポニョ』特集に出てきて「すごいですねー」とかのほほんとコメントしてる、吾郎ちゃんはどうにかしろよ。『ポニョ』で一茂を起用したのは、そのあてつけか?

テーマ : 日記 - ジャンル : アニメ・コミック

2008/07/18 (Fri) 02:33
松本隆とマクロスの80年代

星間飛行星間飛行
(2008/06/25)
ランカ・リー=中島愛

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 季節の松本 第11回「アニメソング(前編)」

 松本隆が自分のサイトで「星間飛行」と『マクロス』について語っている。コレがすごい面白い。マクロスシリーズについてずいぶんと詳しいのには驚かされるが、24年組の少女マンガのファンだと語っていたことがあるし、『エヴァンゲリオン』も観ていたらしい。
 当時の松本氏と『マクロス』のコラボレーションが実現していたら、どうなったんだろう? まあ、「愛・おぼえていますか」は十分すぎるほど名曲なので、これはこれでいいのだが。
(余談だが、ともに氏が作詞した安田成美「風の谷のナウシカ」の2番と松田聖子「瑠璃色の地球」の2番は似ている)
愛・おぼえていますか愛・おぼえていますか
(1993/09/22)
飯島真理

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 前回のエントリと絡めるが、こういったものこそ、アニメ雑誌が載せるべき記事じゃないか。松本氏と河森監督の対談とかセッティングしてもいいかも。

 昨今の80年代ブーム(?)は「10年ぐらい前の過去は否定の対象だけど、20年ぐらい過ぎると懐かしくなってくる」ということではないでしょうか。以前から思っているのだが、「近未来もの」と同じ法則が成り立つのかも。近未来を舞台にしたSFでは、現代社会のネガティブな部分が悪化したものとして描かれるケースが多い。同じように10年〜20年ぐらい前の「近過去」は現在のネガティブな部分が生じたものとして振り返られるのかも知れない。

 追記:ニコニコ動画にこんなMADビデオが投稿されていた。
 【松田聖子】 星間飛行 【松本隆】


 わたしとしては、中島愛と松田聖子の声は、それほど似てないと思うんだけど。

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2008/07/16 (Wed) 08:57
アニメ雑誌の30年

7/12に開催されたSFファン交流会7月例会「TVマンガがTVアニメになったとき 〜アニメ専門雑誌の30年」に行ってきました。会場は渋谷区の千駄ヶ谷区民会館。副都心線で明治神宮前まで。副都心線に乗るのは開業直後以来久々だったりする。
畳部屋の会場には各アニメ誌の創刊号がずらり。名前しか聞いたことのないものから、90年代のエヴァバブルで創刊されたものまで。
今回は徳木吉春さん(編集者)、藤田尚さん(マンガ関係者)、原口正宏さん(アニメーション研究家)の三氏をお呼びして、78年の「アニメージュ」創刊前後から85年の「ニュータイプ」創刊までの話を伺う……とはいえ、昔の話の方がおもしろいのは否めない。 興味深い話がいろいろ伺えたのだが、結局、自分では今のアニメ雑誌にはさほど期待していないことを再確認してしまった。
お話によれば、昔は誌面に載る絵をセルやフィルムから写していたのが、製作のデジタル化で宣材として指定されているものを使うようになって、雑誌ごとの特色が出しづらくなってしまったそうだ。わたしとしては、「アニメ雑誌に載るアニメ」が固定化されてしまったこともあげられると思う。その点『マイメロディ』を創刊から3号連続して載せた「オトナアニメ」は画期的だと思った。今なら『ミンキーモモ』とかも取り上げられず終いかも知れんなあ。
今度「アニメージュ」からも上の年齢層をねらった新雑誌「アニメージュオリジナル」が発売されるそうなので、それは期待していいのか。

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2008/07/11 (Fri) 20:58
『図書館戦争』感想と言葉狩りと総括と

 以前どこかの本で読んだのだが、こんな言葉があるらしい。「検閲制度の一番よくない点は、検閲を通らなかった本が自動的に優れたものとされてしまうことだ」


 で、『図書館戦争』に関して考えたことの自分なりの総括であります。以前書いたことの繰り返しになるかも知れませんが、それは「まとめ」ということでご容赦ください。

 最近読んだある雑誌の話から。別件の調べ物をしていて、偶然読んだのだが、今回の件について考えるのにちょうどよいと思えたので。
 ホロコースト捏造説を載せたせいで廃刊になってしまった「マルコポーロ」という雑誌がある。その1994年12月号の特集は「『言葉狩り』徹底追究。」当時世を賑わせていた筒井康隆氏の「断筆宣言」と、それを受けて盛り上がった「言葉狩り」についての特集である。
 まず筒井氏のインタビューが載っていて、タイトルは「これからの敵は、君たちマスコミだ」。
 次の記事では、「具が大きい」「手作り」「富山の薬売り」などとCMで些末な部分をあげつらわれた例がいくつも取り上げられている。まったく下らないものばかりだ、と笑い飛ばすのは簡単だが、ちょっと待って欲しい。すべての「糾弾」がそうだとは言い切れませんよね。これは「差別」と判断するのが妥当だと思った事例も併せて考慮しないと、単なる事態の矮小化、戯画化にならないだろうか。
 この問題に20年間取り組んでいたというライターの記事が載っていて、いろいろと提言をしている。「『差別表現』対『表現の自由』という”二項対立”の考え方をやめる」「密室的処理をやめ、論議を公開する」「『不適切な表現がありました』式の曖昧な『おわび』はやめる」などと、耳を傾けるべきものも多いのだが、その記事の見出しをみると「指が四本で差別コミック。」キャッチーな見出しを付けたがるのは理解出来るが。見出しの件は『覚悟のススメ』で「指四本」のコマを自主規制で描き変えられてしまったという話。事前に解放同盟に「この表現でよいか」と相談し、問題なしとしたにも関わらず、である。この件で結局解放同盟はいい面の皮である。
 この問題はそもそも、糾弾、非難に対してろくな論議も主張もせずに「自主規制」しまうメディアの姿勢を問うていたはずなのに、いつの間にやら糾弾する側が「煩いやつらなんだから相手にしない」「偏った信念や『利権』を擁護するためにケチを付けている集団」という「色眼鏡」でみられるようになってしまった。
 そして、批判されるべき悪感情を「差別用語」混じりにあけすけにぶちまけるのが「正義」という解釈をする手合いも少なからず、現れるようになった。
 これは大変、不幸なことだ。
 作者のファンサイトでは、トップページで人権擁護法案についてのまとめサイトが紹介されている。
 そのまとめサイト、リンク集で取り上げられているサイトには、特定勢力に対する敵対心や陰謀論めいた言辞を弄するところが少なからず混ざっている。わたし自身正直な話として、「人権擁護法案に反対することは、そういったものに賛同していると同一視されてしまうのか……」という思いもある(リンクをたどれるところにあるから当該言説に賛同していると受け取っていい、というのは意地悪に過ぎるだろうか?)。
 もちろん、対立する思想の持ち主が当座の目的のために「共闘」することはあっていい。
 暴対法が国会で審議されていたとき、「極道の妻たち」と左翼系の市民団体が一緒に反対デモを行っていた。その光景に「いくら主張が同じでも、一緒にデモというのはやりすぎ」と書いたコラムニストがいた。わたしもそう思う。
 まあ、それはともかく。

 振り返ってみれば、このシリーズで表だって書かれている事件はどれも「政治的」なものではない。『図書館革命』の原発テロがそうかもしれない、とは思うが、小説(エンターテインメント)中の描写が事件を連想させる、という「非政治的」なものだ。
 主人公の笠原郁が図書隊を志望するきっかけになった事件も、好きだった絵本が作中に「こじき」という言葉を使ったという件で「良化」の対象になった、ということだった。
『図書館戦争』シリーズに登場した「メディア良化委員会」もその意を呈したPTAや「子供の健全な成長を考える会」、その動きを黙認している警察にしろ、「政治的」なものは感じられない。
(作者は良化委員会と図書館の関係は「中央対地方」の意味も込めていると語っているが、警察というのは上層の「キャリア組」こそ国家公務員だがあくまで地方分権の組織で、対して図書隊に肩入れしている自衛隊は国家の組織。この「ねじれ」はちょっと面白い)
 作者にしてみれば、「あえて書かなかった」というだろうが。

 繰り返しになるが「快楽原則」を擁護することは正当だ、と考えるし、それを入れて「言論の自由」だ、という意見にも賛同する。
『図書館戦争』シリーズは「願望充足」と「快楽原則」が支配するエンターテインメントである。そうだからといって、作品を貶める理由にはならない。しかし、それ以上のものを読み取るのはちょっと違う。
 たとえば『北斗の拳』とか『必殺仕事人』みたいに、悪人は容赦なくやっちまえ、みたいな「お話」がありますよね。読んでて痛快だし野暮な突っ込みをつける気も毛頭ないですが、現実の事例とごっちゃにしちゃいけないし、ましてやそれを警察や裁判所が評価するのはおかしいじゃないですか。『図書館戦争』の場合、その距離ははるかに近いとはいえ、同種の違和感があるんです。
 図書館協会のひとは、そういったことを理解すべきだったし、その上で「エンターテインメント」として評価してほしかった。
 アニメ最終話については、論外だろう。「護りたいもの」が「オレたちの楽しみ」でしかないことを、はしなくも露呈させてしまった、というべきか。

 正直言えば、「こんな出会い方はしたくなかったなあ」と思います。わたしとてエンターテインメント小説のすべてにこんなケチを付けているわけではない。
 一気にハードカバーのシリーズを読み進めていろいろ考えていくというのは、最近ではなかなかない読書体験だった。原作者の有川浩さんには感謝すると同時に、勝手に俎上に挙げてしまって大変申し訳ないと思っております。いや、大変失礼しました。

 それでは、この辺で。

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2008/07/08 (Tue) 02:56
田中芳樹を撃ったあと

 一休みして、ちょっと別の話題を。

女王陛下のえんま帳―薬師寺涼子の怪奇事件簿ハンドブック (光文社文庫 た 24-3)女王陛下のえんま帳―薬師寺涼子の怪奇事件簿ハンドブック (光文社文庫 た 24-3)
(2008/06/12)
田中 芳樹垣野内 成美

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 新番アニメ『薬師寺涼子の怪奇事件簿』をみていて何だか「懐かしいなあ」と思ってしまった。主人公は何かにつけて、役人や大企業や政治家の嫌みをいうのである。
 原作者の田中芳樹氏はそんな物言いが大好きらしい。とくに『銀英伝』以後の看板シリーズ『創竜伝』では甚だしく、わたしにとってはそれがどうにも鬱陶しくて癇に障り、4巻から先は読んでいない。

 そこで「田中芳樹を撃つ!」というサイトがあったのを思い出した。開設からちょうど10年経つが、まだ健在なようだ
 田中作品にちりばめられた政治、社会問題についての記述の、誤りや政治的な偏向を断じたサイトで、はじめのうちは「我が意を得たり」という感じで毎日巡回していたのだが、そのうちに、ある思想の持ち主がそれにそぐわない田中作品の記述を批判する、という図式がだんだん目立ってきた。
 硬直した「サヨク」的発想に突っ込みを入れることは正しかったが(今でもそう思う)、今にして思えば「解毒剤を処方しすぎて毒になった」ような気がしている。差別者を批判したBlogに「おまえは『差別者』を『差別』している。矛盾していないか」なんて馬鹿な反応がいくつも返ってくる事態になっては(参考:良い子のための日本語教室)。
『創竜伝』にせよ『図書館戦争』にせよ、結局、エンターテインメントという「快楽原則」が支配する世界で「思想」「社会」を語るのは「両刃の剣」。ひとを動かす強力な武器にもなれば誤った解釈に導くこともあるようだ。

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2008/07/06 (Sun) 22:41
『図書館革命』と『別冊図書館戦争1』と

最終巻です、ついでに『別冊図書館戦争』も同時に取り上げます。
(例によって、ネタバレあります)。
図書館革命図書館革命
(2007/11)
有川 浩

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 冒頭原発を標的にしたテロが発生。似たような小説を書いた作家が槍玉に挙がり、良化委員会に追われる身になる。
 かつて三億円事件が大藪春彦の小説の模倣だといわれたことがあったし、黒澤映画『天国と地獄』は、吉展ちゃん事件はじめその後発生した身代金目的誘拐事件の「元ネタ」とされ、未だに誘拐を題材にしたミステリーの「トラウマ」になっている。
 笠原郁ら関東図書隊は作家を匿う。取引を図ろうとする「未来企画」などとの確執。自分たちは正義ではない、と作中人物はいうが、それにしては相手の「正義」は語られない。

 しだいに追いつめられていく。事態打開のため、マスメディアの大同団結を提案。事態の真相を伝える番組を作成し、放送禁止になっても別の局で続きを放送する「パス回し放送」を行う。良化委員会はいつの間に「即時の放送禁止処分」が出来るほどの権力を持ったのか。さしたる抵抗もなく大同団結するのも都合がよすぎる、と突っ込むべきか。
 全マスコミの大同団結というのも、見方を変えれば「両刃の剣」「劇薬」で、例えば60年安保の時、新聞各社は「暴力を排し議会主義を守れ」という「共同声明」を出し「言論の自由の自殺行為」と言われたこともある。

「自分がいつ押しつける側に回るか分からないから恐いんですね、こういうの。あたし思いこみ激しいから、いつ自分が押しつける側に回るか分からないので恐いです」(P92)
 原作の郁はこんな感慨を漏らす。作者はアニメスタッフを非難すべきだ。

 報道規制に対して憲法判断を求めて裁判闘争をするが、最高裁で法律の有効期間に期限はつくも実質敗訴。下級審では違憲判決が出るが最高裁では「高度の統治行為」で判断放棄、だったら面白かったかも(「長沼ナイキ訴訟」で調べてね)。
 柴崎の案で作家を亡命させることにする。紆余曲折あって(読んでね)結局作家の亡命は成功。米英はじめ他国からの非難、圧力で、将来的な良化法の消滅と、同時に図書隊の消滅することも暗示して終わる。
 一気に読めて読了感も満足。ちりばめられた小技も効いている。どうしてこの巻をアニメにしなかったのだ? それとも、今後のOVAに期待を繋いでいるのか?
 ただ、ストーリーの主眼がメディア戦略と法廷闘争、それにアクションになってしまい「図書館」が背後に回ってしまったのがちょっと物足りない。
 テロそのものは事態のきっかけを作るために設定されただけのようで、作中で第2弾が起こるわけでも元締めが捕まるわけでも、犯行グループが当該小説を参考にしたと表明したわけでもない。

 結局、メディア良化委員会が存在する理由は「利権」としか語られない。良化委員会の側にもカリスマ的なアジテーター、あるいは動機において理解出来る存在がいてもいいような気がする。たとえば、『戦争』で出てきた通り魔殺人の被害者遺族が、メディア良化運動の熱烈な支持者になる、というような。
 そう思っていたら、この巻の後書きにはこうある。
 「まず、良化委員会の言い分が書かれていないことを指摘するご意見を今までにいくつか頂きましたが、これは敢えて書いていません。その理由もここでは触れません」

別冊図書館戦争 1 (1)別冊図書館戦争 1 (1)
(2008/04)
有川 浩

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『別冊図書館戦争1』こちらはカーテンコール的な外伝。『2』以降も出るんだろうな。
 正直言って、「ラブコメ」についてはわたしはよい読者ではないと思うし、そんなところまでとやかく言うのは「批判のための批判」になってしまうので(でも「戦争」「軍隊」をそのダシにして屈託がないのはどうなのかな、とは思わないでもない)。
 その1編で差別用語を一切使わずに「差別表現」を繰り返す作家が出てくる。良化法を挑発する意図で、趣味でやっていると公言する。小説そのものは「毒々しくて好きになれない」。
 そういった行為は批判的に描かれているけど、そりゃそうだわな。

 次のエントリで「総括」になります。シリーズ全部を読み通して思ったこと、図書館との関係、「自由」と「快楽原則」との兼ね合いはどうあるべきか、などなどを、またぐだぐだと語ることになると思います。
 ああ、結局週末を潰してしまった……。

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2008/07/05 (Sat) 22:28
『図書館危機』と無邪気さと

 しばらく、ぐだぐたと長文を垂れ流してきたが、自分でも上手く書けているかどうか自信がない。要らぬ反撥を買いそうな気もしないではない。
「メディア規制と戦っている作品に些末なケチを付けて、結果として規制推進派を利してるんじゃないのか?」「『快楽原則』『オレたちの楽しみ』を擁護することは所詮エゴで、日本国憲法に麗々しく謳われている『思想の自由』とは似て非なる物、って言いたいのか?」と、迫られたらどうしよう、と戦々兢々としています(笑)。
 無論、そんなことは言う気はない。繰り返しますが、わたし自身は「快楽原則」「オレたちの楽しみ」を擁護することは全く正しいと考えていますし、それらに優劣をつける気もありません。
 しかし前々から思っていることなんですが、それを「思想の自由」と称することに以前から「違和感」を抱いていた。「戦うためのスローガン」としては有益にせよ、齟齬は出てこないか。
 その「反対」の一部には正直、納得出来ない部分もあって、どうして違和感を感じるか、納得出来ないかをこの機会につきつめて考えてみようじゃないか、というのが、こんなBlogを書いているモチベーションのひとつであります。
 「表現の自由と規制」を巡る問題で、われわれは多かれ少なかれ「傷」を負っている。大変生々しい「傷口」で、未だに血が流れているか、せいぜいかさぶたが張っている程度。その「傷口」に触れることは、激しい「痛み」を伴ってしまう。
 だからといって、傷つけてくるあいつらが悪いんだと傷を舐め合ったって「道化芝居」にしかならない。この傷を癒す方法、新しい傷を付けない方法はあるのか。その課程の中でついつい触ってしまうことはある。それはご理解いただきたい。不用意な触り方をしたら遠慮なくご指摘いただきたい。
「オレだって痛いんだ。でも我慢してるんだよ!」

で、『図書館危機』も読了しました。(ネタバレ有ります)
図書館危機図書館危機
(2007/02)
有川 浩

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 アニメの9話から最終回までのエピソードが収められている。アニメではカットされた3章の「ねじれたコトバ」は、ファンの人気も高いようだ。こういったエピソードをことごとくオミットしなければ、印象もずいぶん変わるのだが。
 5章はアニメのクライマックスでもある茨城図書館を巡る攻防戦。この部分が最大の「問題」でもあるわけだが、基本的に原作と一緒であります。
 市民団体「無抵抗者の会」が強い影響力を持つ茨城県立図書館で、陰湿な嫌がらせに会う郁。自衛隊と「平和団体」のメタファーであることは容易に判明する。
 かつて教師とか労組の関係者とか「革新政党」支持者に、自衛隊員やその家族が「白眼視」されていたとはよく聞く。昭和30年代にあるとっても偉い作家が「防衛大生は同世代の恥辱」と書いたことがありまして。
 アニメの通り、激しいんだか生ぬるいんだかよく分からん戦闘があって、「無抵抗の会」は形を変えた良化法賛同団体だった、という案の定なオチで終わる。でも現実世界のスパイ(内通者)というのは、スパイらしからぬ行動を取るもの。過激な対立方針を煽るリーダーが実はスパイ。跳ね上がり路線が世間の反撥と弾圧を招く、なんてのがあってもいい。実際にそんな例があったのだし。

 マスコミ相手に「無法でたくさん」と叫ぶとか、圧力をかけて偏向報道を辞めさせたなどといったデタラメな場面はない。大体、マスコミ自体ほとんど登場しないし。その点は作者の責任ではないが、疑問を感じないのだろうか。

 シリーズ全体を先取りした感想になるけど。作者にとって登場人物が「可愛すぎる」ような気がするんですよ。だから死ぬことはないし、手を汚させられない。本当の意味で苦難や葛藤を負わせられない。
 作者は自衛隊(軍隊)の「凛々しさ」とか装備とか行動原理とかに「萌えて」いるようだけど、それが何のために要請されているか(無論、戦場で命のやりとりをするためだ)という問題はあえて深く突っ込まないのか、あるいは興味がないようだ。
 この辺、良くも悪くも「無邪気」だなあ、と思った。「無邪気」ってのは本シリーズの、いや、作家有川浩のキーワードかも知れない。図書館(本)、自衛隊、ベタ甘のラブコメ、死にも殺しもしない「戦争」と自らの「正義」を保証する「大義名分」。好きなものだけいっぱい詰め込んだワンダーランド。
 その「もてなしの良さ」は大したものだと思うが、一抹の不安と疑問も感じないでもない。やっぱり「快楽原則」じゃないか、と。わたしも歳を取ったのか。

テーマ : 読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

2008/07/04 (Fri) 07:10
落書きと若気の至りと

 ちょっと気分を変えて、今話題の「イタリアの世界遺産に落書き」事件について思ったことを書いてみたい。フィレンツェの世界遺産である大聖堂に日本人の落書きが残されていた問題、最初は学生だったのだが、何と高校野球の監督まで行っていたのがばれてしまい、解任される羽目になってしまった。それに対して当のイタリアでは日本社会の厳しい反応に驚いているるようだ。



<落書き>伊紙「あり得ない」 日本の厳罰処分に
7月1日22時12分配信 毎日新聞


 【ローマ藤原章生】「教員、大聖堂に落書きで解任の危機」−−。イタリア・フィレンツェの大聖堂に落書きをした日本人が、日本国内で停学や務めていた野球部監督の解任など厳しい処分を受けていることに対し、イタリアでは「わが国ではあり得ない厳罰」との驚きが広がっている。

 イタリアの新聞各紙は1日、1面でカラー写真などを使い一斉に報道。メッサジェロ紙は「集団責任を重んじる日本社会の『げんこつ』はあまりに硬く、若い学生も容赦しなかった」と報じる。

 フィレンツェに限らず、イタリアでは古代遺跡はスプレーにまみれ、アルプスの山々には石を組んだ文字があふれる。その大半がイタリア人によるものだ。同紙は「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と、日本人の措置の厳しさに疑問を投げ掛けた。コリエレ・デラ・セラ紙も「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」と論評した。

 一方でレプブリカ紙によると、大聖堂の技術責任者、ビアンキーニ氏は「日本の出来事は、落書きが合法と思っているイタリア人にはいい教訓だ」と語った。
(毎日新聞)


同じ話題を読売新聞ではこう記事にしている。



フィレンツェの大聖堂落書き、日本側処分に修繕責任者「満足」


 【ローマ=松浦一樹】イタリア中部フィレンツェの世界遺産登録地区にある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」への落書きで、日本の大学生が停学処分を受けたり、高校野球部監督が解任されたりした問題で、大聖堂の修繕責任者パオロ・ビアンキーニ氏は2日、本紙の取材に対し、「厳しい処分に満足している」と語った。

 ビアンキーニ氏は、落書きされた大聖堂の壁面の修復はおおむね可能としながらも、材質が大理石の部分は筆記用具の先でえぐられていることもあり、「修復は難しい」と語った。

 イタリアでは、水戸市の私立常磐大高校野球部の監督解任が伝えられたのを機にメディアが一斉に落書き問題を報じているが、一連の処分については「我々にはまねできない厳しさ」(1日付レプブリカ紙)といった論調が目立つ。

 ビアンキーニ氏は、「処分の厳しさは日本人の『良識』に由来する。今回のことがきっかけで、文化財を大切にしようという意識がほかにも伝わるといいのだが」と話す。

 同氏の元には今年3月、落書きをした岐阜市立女子短大の学生から謝罪する手紙が届いており、その後、「日本人として恥ずかしい」などとした電子メールも10通送られてきたという。

 ローマ法王にあてられたイタリア語の謝罪もあり、「心を打たれた」と語る。

 大聖堂の落書きの消去作業は年1回が通例。落書きした当人が消去作業を行うという案については、「修復は特殊技能が必要とされるので、お断りしたい」と述べた。
(読売新聞より)



 読売は日頃から「救急車の濫用」「図書館の本の切り取り」のような公共モラルを問う記事が多い印象がある。

 日本でも、昔からこの手の不始末に不寛容だったわけではない。というより、おそらくはつい最近になってからの風潮である。

 ある鉄道ライターのビッグネームが、自伝にこんなことを書いていた。
 彼は京大生時代、列車からサボ(行先票)をくすねて収集するという悪事に手を染めていたという。最初は面白半分だったが、いつしか常習になって手口も大胆になり、ついにばれる日が来る。友人たちと旅行に行くとき、出発地の京都駅で、駅員に現場で取り押さえられてしまった。
 観念して学生証を出したら「なんだ京大の学生さんか。後日出頭すればええよ」と放免されて、彼はそのまま旅行に出発した。帰京してからも結局逮捕されることもなく、大学などのお咎めもなしで決着したようだ(有力者に頼んで警察に手回ししてもらったことが仄めかされている)。集めていたサボは「『出来心で』と言ったのに、あとで家宅捜索されて発見されたら大変」とボートで琵琶湖に漕ぎ出し、捨てたらしい。

 今だったら報道されても不思議ではない(本人もそれを心配した節があり、「異例の寛大な措置」「学生証と長距離切符を持っていたのが信用された理由ではないか」のようなことをいっている)。
 当時は盗品を転売したりする「悪質なマニア」という存在が知られていず、一過性の悪ふざけ程度と思われた節がある。
 しかしそれよりも重要なのは、大学生、特に東大京大といった「最高学府」は今では考えられないぐらいのエリートだったことだろう。「学生さん」というだけで社会的信用も高い。おまけに、京都の地において、京大生はある種「特権的な地位」にあったらしい。今でもその名残はあるようで、『太陽の塔』などの森見登美彦の諸作を読んでも多少は伺える。
太陽の塔 (新潮文庫)太陽の塔 (新潮文庫)
(2006/05)
森見 登美彦

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 この著者は卒業後新聞記者になり、独立して鉄道ライターのパイオニアになった。仮にこの事件で退学にでもなっていたら、こんな道行きは望めなかっただろう。 本人にしてみれば「若き日の過ちの告白」ということでしたためたのだろうが、読者には不興を買うものもいた(こちら参照)が、でもこれで、公の場で謝罪する羽目になったわけでも、仕事を干されたわけでもないようだ。

 一時の過ちで前途ある青年の将来を狂わせるのは忍びない。反省しているのなら寛大に許してやれ、という認識が当時はあったようである。いい例が、学生運動に関わったもの達。デモや破壊行動で逮捕されたことがあっても学者や医者になったり、あるいは「転向」して現在社会の要職についているものも多い。冒頭部に引いた読売新聞の社長兼主筆氏も、そうだ(60年代までの話だが)。

 どうも「昔のほうが公共モラルが高かった」と思いがちだったが、調べてみるとそうとも言えないようだ。
 かつての「バンカラ」学生の武勇伝には、今ではとうてい許容されないようなものもある。
 たとえば「猫鍋」。ちょっと前Webで流行ったやつではない。野良猫(気に入らないやつの飼い猫の場合もある)をほんとに鍋にして食ってしまうのだ。「犬鍋」もある。今の中学生がやったら、下手したら児童相談所行きだ。
 ほかにも畑から大根やスイカを盗んで食ったとか、本は万引きするものでおれは本屋を2軒潰してるとか、どこまでほんとか法螺かは分からないが、21世紀にBlogやmixiで書いたらたちまちのうちに「炎上」「祭り」になるものばかりだ。明治大正、戦前ではなく、一部では昭和40年代までこの手の「蛮習」はあったようだ(断言はしないが)。
 しつけや公共モラルの今昔比較については、こんな本もある。
日本人のしつけは衰退したか―「教育する家族」のゆくえ (講談社現代新書 (1448))日本人のしつけは衰退したか―「教育する家族」のゆくえ (講談社現代新書 (1448))
(1999/04)
広田 照幸

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 今回の犯人に「許してやって」とか「寛大な処分を」と要望する気はない。何の縁もゆかりもないし、時代とともに価値観が変わって当然という考えは肯定する。
 かつては「些細」とされてきた不祥事が大問題になり、「世間」から総攻撃を浴びる。はみ出た不品行に厳しい目を向ける「世間」というのは逆に「強化」されているらしい。むしろ、この種の突出した事例に対して厳しく当たることで、「世間」のメカニズムがうまく働いていることを再確認している、というべきか。当事者にとってはそれだけきつい目に遭うようだが。
 どうやら「若気の至り」「出来心」という言葉は、死語になりつつあるようだ。

追記:落書きは日本の伝統

2008/07/02 (Wed) 06:33
『図書館内乱』と論争と検閲と

 で、『内乱』の感想(やはりネタバレありです)。

図書館内乱図書館内乱
(2006/09/11)
有川 浩

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 この本ではストーリー展開にちょっと強引な点が目につくようになってきた。
 図書隊が属する「原則派」でも妥協を図る「行政派」でもない「第3の道」を説く手塚慧に同志になるよう迫られても、笠原の「それじゃあ時間がかかっちゃうじゃないですか! 読みたいのは今です!」で強引に終わらせてしまう。まあ、この手の「オルグ」にはヘンに議論して丸め込まれる危険を冒すより、「いやだからいやだ!」で拒否したほうが効果的な振る舞いだとは言えますけどね。
 
 『レインツリーの国』という本を作中人物の恋人が読んで感動したという件がある。後書きにも明記されているが、同タイトルの本を作者が執筆し「コラボレーション」させている。好意的に解釈すれば楽屋落ちか読者サービス、悪意に取れば作者のナルシシズム。そこまで悪意に取る必要もないか。
 あとは例の「一刀両断レビュー」の件か。國學院大学准教授須永和之氏にBlogで批判されたのを受け、この『図書館内乱』で、図書館サイトのコンテンツで批判的なレビューをする人物に「砂川一騎」という須永氏をもじった名前を当て、さらには主人公に罠をはめる役回りを演じさせる。

 その件についてもう少し詳しく知りたくて、豊島区立中央図書館に行って特集記事が載っている2006年12月号の「図書館雑誌」を閲覧、当該箇所をコピー(禁帯出なので)。一緒に有川氏のロングインタビューが載っている『ず・ぼん13』(ポット出版)を借りてきた。
 
ず・ぼん?図書館とメディアの本 (13)ず・ぼん?図書館とメディアの本 (13)
(2007/11/10)
ず・ぼん編集委員会

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「図書館雑誌」というのは名前の通り、完全な業界誌。図書館業界には業界誌がいくつもあるらしい。一方『ず・ぼん』は一般読者も意識した誌面作りになっている。
 特集記事は「『図書館戦争』刊行をどうみるか」というタイトルで、渦中の人物、須永和之氏が書いた批判記事ともう一本、灘中灘高の学校図書館の司書(司書教諭?)の方が書いた「『図書館戦争』『図書館内乱』よもやま話」。こちらは好意的である。

 で、当の須永氏の「ちょっと待った!『図書館戦争』『図書館内乱』」。読んだところ、わたし的にはあまり納得も共感もできなかった。設定の矛盾点も指摘されているが、大筋では「図書館員が武装すること」への嫌悪感に力点が置かれているから。筆致も高飛車で、無用の反撥を買いかねない。でもまあ大前提として「こんな意見があると表明すること」自体はいいんじゃないですか、とは思う。たとえば刑事ドラマを見た現職警官が「現実の警察はこうじゃないよ」というような。
 しかしそれに対する有川氏や版元の反応は過剰にも思える。『ず・ぼん』のインタビューで、「法的措置も考えた」といったり、「怖い話」と前置きして須永氏のプライバシーを持ち出したり「図書館界と私の交流は、ある意味このお方一人のお陰でずっと阻まれてきたんです(P160)」と発言するのは、率直に言って首をかしげてしまう。
 かつて、ある文芸雑誌の編集者が他社から出た雑誌に書いた記事で、あるとっても偉い作家をぼろくそにけなしたら、当の偉い作家が版元の社長に「自分を批判するような編集者がいるような出版社とはつきあえない。おたくとは絶縁します」と怒りの手紙を書いてきたという話がありまして、それを彷彿とさせます。
 勤務先などをWebに載せていることを指摘して「公職に就いておられる方としてはちょっと迂闊でしたね(P160)」というが、須永氏は公職に就いているから、専門範囲の記述がある『図書館戦争』を俎上に挙げたんじゃないのかな。これが、関係ない職業のひとが趣味でやってるBlogの記述だったら話は別。個人的な諍い事を勤め先にたれ込まれたら堪ったものではない。逆も然り(笑)。須永氏のそもそもの記述には迂闊な部分もあるとは思いますが。
 読んでみるとどうも、有川氏らは須永氏のBlogが図書館協会のサイトからリンクを張られていたことを問題視したようだ。リンク先のどこまでがリンク元サイトの文責か、というのはWWWの最初期からある問題なので、ここでは言及しないが、しかしそこまで「過剰反応」したのは、須永氏の文章が醸し出す、ある「雰囲気」にあるかもしれない。結びの一文は、こうだ。

 実際の図書館とかけ離れたものと割り切って、エンターテイメントとして十分に楽しめるが、憲法改正が論議され、教育基本法の改正が国会で審議される今日、「図書館の自由」のために戦闘を合法化する小説は不気味すぎる。

 たとえば、こんな文句を思い浮かべないだろうか。
「ロボットアニメは戦争を賛美しているからけしからん」「弱者を笑いものにするようなお笑い番組は教育上よろしくない」「テレビゲームばかりやっていると暴力的な子供に育つ」「あの犯人はロリコンマンガを読んでいたせいで事件を起こした」「『ウルトラセブン』の12話は被爆者を差別してる。放送するな!」 
  アニメ、マンガ、ゲーム、娯楽小説などの「サブカルチャー」を楽しみ、思い入れをしてきたひとびと(わたしを含む)は、こんな言葉にうんざりして、怒りを覚えてきたはずだ。『図書館戦争』読者の世代にとって一番「リアル」な「表現の自由の抑圧」の姿。そして、これらの言葉をぶつけて非難し、抗議してきた「勢力」はにしばしば「反戦」「平和」「反大企業」という思想と親和性が高いひとびとが目立った。
 むろん、須永氏がこのような意見を持っているかは定かではないし、単一の団体がこれらの主張にすべて賛同しているわけではない(だろう)。しかし「オレたちの楽しみを邪魔している」という点で「同一」に思えてしまう。それに有川氏は「自衛隊大好き」で知られているから、自衛隊がこの手の人々にどのように扱われてきたかとダブっても不思議ではない。
 しかしそれは本来、「図書館の自由に関する宣言」が想定していた事態ではない(肯定否定はとりあえず、横に置いて)。そう非難してくる個人や団体はしばしば「国家権力や商業主義マスメディアの暴虐と戦っている」というスタンスを取っている。あくまで「批判」『糾弾」。
 だから須永氏の「また,検閲という言葉を安易に意味を履き違えて使っていることに違和感を感じています」という言は、その限りにおいて正しいところをついている。本シリーズで描かれている「検閲」は、もともとの「図書館の自由に関する宣言」で言及されている「検閲」とは、別のものだ。「検閲」を本作では「不当な検閲」と改変したのはそこまで踏まえてのものだろうか。

 この作品を図書館協会が評価するのって「同床異夢」のような気がしてならない。まあ、同床異夢を見て悪いという法はないんだけど、認識はしておかないとまずいことも出てくるのではないかと思わないでもない。取り越し苦労でしょうか。

 残りの『図書館危機』『図書館革命』も今週中には読もうと思います。外伝は……どうしようか。

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2008/07/01 (Tue) 12:13
『図書館戦争』原作感想

 結局、読んでしまいました。

図書館戦争図書館戦争
(2006/02)
有川 浩

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 2作目『図書館内乱』まで読了したが、まずは『図書館戦争』の感想から。

(ネタバレありますので注意)
 店頭で見れば分厚いハードカバーだが、メモを取りながら1冊1時間強で読了。

 世界設定の基本についても、やはり、あまり説得力があるとは思えない。メディア良化法が成立した経緯についても「政界七不思議のひとつ」と投げている。

 第3章、第4章はよかったか。第3章。連続通り魔殺人事件が発生して、犯人である少年が逮捕される。警官が図書館にやってきて、少年が閲覧していた本の貸し出し記録を調べさせてほしいと要求する。
 作者は警察のこうした行為に対しては批判的だ。地下鉄サリン事件のとき、国会図書館で化学兵器関係の専門書の閲覧記録を警察が調べたことがあったそうだが、それを作中では図書館の自由が侵された痛恨事として書いている。

 原則は状況によって左右されるべきではない、と稲嶺は静かに結んだ。それが図書館から警察への痛烈な皮肉にもなっていることは部下にも通じていないだろう(P158−p159)

 第4章は前章の続きのような内容で、その事件を受けて「子供の健全な成長を考える会」が暴力描写のあるライトノベルをやり玉に挙げ、図書館が蔵書を処分させられる。それの抗議で子供たちが集会にロケット花火を打ち込む、という内容。

「『考える会』は正規の手続きを踏んで今日の集会を開催した。正しい手順を踏んだ相手に花火を打ち込んだお前たちとどっちが真っ当に見えるだろうな」(P220)

 図書館は子供たちを集めて『考える会』に対抗する知恵を出し合うよう指導する。子供たちは自主的に作った「アンケート」を突きつけ、規制側に楔を打つことに成功する。問題解決の手段として、常に戦闘を選んでいるわけではないである
 「思想、表現の自由」という原則をみだりに曲げるべきではない、という作者の姿勢には共感する。だったらなおのこと、最終話で笠原に「無法でたくさん」と叫ばせるのは、作者の意図に反しているのでは? と思わざるを得ない。

 公序良俗を謳って人を殺すのか。日野の襲撃者たちを弾劾した言葉はそのまま稲嶺を弾劾する。本を守ることを謳って人を殺すのか。
 殺すとも、と言い切れるほど割り切ることは出来ないが、やはり稲嶺は無抵抗を却下する。
(P275)

 アニメではこういった部分をカットして、代わりに、あまり説得力のないドンパチを増やしてしまったようだ。しかし原作も、ドンパチやってるのに死人が出るようには見えないし、拉致だの人質取っての要求だの「卑怯な手」を使うのは相手側、という点は変わらないようだ。

 とまあ、読了感は悪いものではなかった。『図書館内乱』の感想は次回。

空の中 (角川文庫 あ 48-1)空の中 (角川文庫 あ 48-1)
(2008/06/25)
有川 浩

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『空の中』が角川文庫に落ちていた。『図書館』シリーズも文庫は角川から出るのか?

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