2008/04/05 (Sat) 22:27
新井素子が愛された理由

グリーン・レクイエム/緑幻想 (創元SF文庫 (SFあ1-1))グリーン・レクイエム/緑幻想 (創元SF文庫 (SFあ1-1))
(2007/11)
新井 素子

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 新井素子『グリーン・レクイエム/緑幻想』(創元SF文庫)を読む。
 星雲賞受賞作とその続編が合本になって復刊。思い出せば『緑幻想』は90年の夏、九州に行ったときに夜行【ムーンライト九州】の車内で読んだ。そのせいで、屋久島まで足を伸ばしたくなってしまった。日程やらお金やらの(国内の離島に行くのは、下手な海外旅行よりもお金がかかる)都合で断念し、南九州をうろついて我慢したのだった。宿はまだ急行だった【かいもん】【日南】で……。

 後書きを読んで知ったが、新井素子ももう、作家生活30年なのか……30年といえば、当時の新卒社員が、ぼちぼち第二の人生を考えようかという頃合いだ。「教師生活25年」より長いぞ(笑)。「眼鏡っ子の文学少女」というステロタイプを作ったのも、彼女かも知れない。
 解説では『グリーン・レクイエム』が映画化されていたことには触れていない。少女を撮るのに定評があった監督が、少女が好きすぎて後ろに手が回ってしまったせいだろうか……(笑)。

 前エントリと関連して、ついつい本書と『パラサイト・イヴ』とを比較してしまった。
 ひょっとしたら、瀬名秀明氏はこんな感想を抱くかも知れない。
「この作品のエイリアンや植物は『パラサイト・イヴ』のミトコンドリア以上に擬人化されているじゃないか。それに、植物エイリアンが整形で人間そっくりの姿になるなんて、まるでリアリティがない。でも彼女は星雲賞でオレは『SFじゃない』。なんでだ?」と。まああくまでわたしの脳内「仮想瀬名秀明」ですが(後者は絶対突っ込みが入っていると思う。彼女以外なら)。
「どうして新井素子が許されて、瀬名秀明では許されないのか?」というのはなかなか答え難い問いですが、それは素子姫(当時の呼称)が80年代のSF界に占めていたポジションを理解しなければならないかも知れない……。
(あ、わたし自身は『緑幻想』は『パラサイト・イヴ』よりSFだと思います。理由はここでは省きますが)

 
 80年代の一頃、新井素子がSF界で「特権的」な地位を得ていたのは何故か。まず挙げられるのは、新井素子が日本SFの「正統」に属していたことだ。作品の傾向ではなく、デビューの経緯や人脈において。
 彼女のデビューは「奇想天外」誌が開催したコンテストで佳作入選(同期の佳作に山本弘がいる)したことによる。当時「ハヤカワSFコンテスト」は中絶していたので(二年後に再開。出身者は野阿梓と神林長平)、久しぶりに出現した「プロパーSFのコンテスト出身作家」ということになる。SF界の第一世代は大抵「ハヤカワSFコンテスト」か、同人誌「宇宙塵」の出身だった。 デビューに当たって、コンテストで選考委員であった星新一の熱烈なプッシュがあったのも見逃せない。新井素子の父親と星新一は東大で同級生だった。「ミスターSF」の娘的な存在、だったわけだ。
(追記:新井素子は昏睡状態の星氏に、家族以外で面会を許されていた数少ない人物。最近では、星新一のショートショート集『ほしのはじまり』(角川書店)を編纂している)
ほしのはじまり―決定版星新一ショートショートほしのはじまり―決定版星新一ショートショート
(2007/12)
星 新一

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 日本のSF界で「SFかどうか」ってそんな「出自」「人間関係」の問題も大きいんだよね。まあこんなのは昔の話で、SFコンテストが休止した90年代以降、その構造は崩れてしまって、今はもうそんなものはない。多分。
 つぎに、新井作品の本質的なトラディショナルさ。彼女の文体は「ライトノベルのルーツ」と呼ばれているのだが、その印象とは裏腹に、ずいぶんと「古風」な単語や言い回しを多用している。「莫迦」という表記もそうだが、『星へ行く船』のあとがきにも「恥かきっ子」とある。当時でさえ、コバルト文庫の読者にそんなボキャブラリーはなかったぞ(笑)。
 そして彼女自身も、本質的にはコンサバティブな価値観の持ち主であるようだ。この本を読んでも感じるのは、「男と女は結婚して、子供を作るのが当然だ。そして男は『男らしく』女性を守るのがよい」というコンサバティブな男女感である。
 たとえば、『緑幻想』にこんな一節がある。

「あの、ね、信彦さん……。最終的に、あなたは、人間の、それも健やかで、優しい女の人を、お嫁さんにするべきなのよ(P401)

 彼女自身の生き方もそれにこだわっている節が伺われる。結婚したのは25歳のとき。当時は「結婚適齢期」という言葉が生きていて、女性は20台半ばまでには過半数が結婚するものという認識があったが、今の感覚なら「ちょっと早いんじゃないか」と思ってしまわなくもない。その後の「不妊」へのこだわりも然り。今では子供のいない(あえて作らない)夫婦などざらに見られるが、彼女自身はそういう生き方を望んでいなかったのだろう。
 そう、SF界のとっての彼女はあくまで「可愛いお嬢さん」。理論武装して男性集団に対等に渡り合おうとはしない。「女史」とかいう言葉が似合う存在ではない。おまけに星新一のSF界での「嫡子」でもある。だから大半が男性のSFファンにはある種「安心」していられる存在だったのだ。

 とまあ、フェミニズム的(?)な読み取りをしてみましたが、でも個人と集団の関係には、「人柄」とかいった計量不能の要素も大きいです。それを考えれば、あんまり当てにはならない考察でした。それに「当時のベストセラー作家だったから、ちやほやされてたんじゃないか」と言われれば、身も蓋もないしね。
 そういえば、誰だったか。「『男に都合のいい女しか認めない』という点において、オヤジとオタクは同類だ」と言ったのは。

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